桜花らんまんの掛川城
桜の満開の時期に訪れてみたい掛川城でしたが、桜の開花時期はすでに過ぎた4月15日になってやっとの思いで訪れた。ウィークデイ(Weekday)だから観光に訪れる人もまばら、閑散とした場内である。
桜の満開の時期ならば(下記の写真のような)花見客と掛川城の見学をともに楽しむ人でさぞかしや繁盛しにぎやかであろうと思います。
訪問したいわけは、日本初の木造天守閣として復元され、東海の名城として江戸時代の美しいお城を再現したもと、当地に住む知人のお城自慢をこの目で確かめて見てみたいと思ったのがきっかけです。
お城そのものは小ぶりですが、廻りの新緑を袴に空高くそびえる様には風格と美しさを備え持った名城ですね。まさに美景観の名城です。美しさにほれぼれします。
当日は、ドウダンツツジが満開でした。
戦国時代、掛川は東海道の東西交通の要衝として重要な戦略拠点であったため、今川、徳川、武田氏など多くの武将がこの地をめぐって争いを繰り広げました。
掛川城は、室町時代に駿河の守護大名今川氏が遠江進出を狙い、家臣の朝比奈氏に命じて築城させたのが始まりです。
しかし、今川義元が桶狭間で討たれると今川氏は力をなくします。
桶狭間(おけはざま)は、愛知県名古屋市緑区と愛知県豊明市にまたがる地域
1568年、武田信玄に追われて掛川城に逃げ込んだ今川氏真を徳川家康が攻め、半年に渡る激しい攻防戦の結果、家康は掛川城を手に入れます。
1590年、事実上の天下統一を果たした豊臣秀吉の命により、掛川城には「内助の功」で有名な山内一豊が入城します。一豊は戦乱で傷んだ城の大改築を実施し、同時に城下町の整備を行いました。
江戸時代になると、掛川城には徳川の譜代大名数氏が城主を引き継ぎ、最終的には太田氏(太田道灌の子孫)の居城となり、明治維新まで続きました。
しかし、1854年の嘉永の大地震により天守が倒壊し、その後しばらくは再建が行われることはありませんでした。
現在の掛川城は平成6年4月に、日本初の本格木造天守閣として復元されたものです。
天守閣の再建にあたっては、山内一豊が築城した高知城を参考に、残された図面に基づき、樹齢300年を越える厳選された青森ヒバを用いて、「東海の名城」とうたわれた往時の美しさを忠実に復元しました。
出典=掛川市役所 歴史資料から
御殿は、城主の公邸、藩の役所、公式式典の場などとして使用されました。書院造と呼ばれる建築様式で、畳を敷きつめた多くの室が連なり、各室は襖によって仕切られています。
現存する御殿は、嘉永7年(1854年)大地震で倒壊したため、時の城主太田資功によって、安政2年(1855年)から文久元年(1861年)にかけて再建されたものです。
現存する城郭御殿としては、京都二条城など全国でも数カ所しかない、江戸時代の藩の政治や大名の生活が偲ばれる貴重な建築物として、国の重要文化財に指定されています。
・出典=掛川観光協会
御殿から見上げる掛川城
四足門の向い側の花壇と咲き終りの八重桜
掛川城・開館日・入館料の詳細
所在位置 | 〒436-0079 静岡県掛川市掛川1138番地の24 |
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連絡先 | TEL:0537-22-1146 |
開館時間 | 9時から17時(入館は16時30分まで) |
休園日 | 年中無休 |
入館料 | 掛川城御殿の入館券料を含む |
個人 | 大人:410円 ・小中学生:150円 |
団体 | 大人:320円 ・小中学生:120円 |
団体扱い | 20名以上です |
掛川城と駐車場案内・MAP
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