南北海道(道南)江差の桜・ニシン漁で栄えた往時をしのぶ「いにしえ街道」

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南北海道(道南)江差の桜とニシン漁で栄えた街をしのぶいにしえ街道散策

松前城の桜を見るその前に一度は訪れてみたい場所へ、ようやく念願がかないました。それは、江差です。

いにしえのロマンとニシンで繁盛した往時がしのばれる「いにしえ街道」を散策したいと思っていました。今はひっそりしている江差のいにしえ街道


 

<江差「いにしえ街道」周辺散策>

いにしえのロマンとニシンで繁盛した往時をしのばせる建屋の景観。マイナーな観光地なのか、観光する人も少なく、のんびりゆったり観光できました。

江差の名前の由来は、アイヌ語の岬を意味する言葉「エサシ」からきている。岬を意味する町は他にもあり、稚内の宗谷にある「枝幸町・エサシチョウ」もエサシから来ている


左白い建屋 旧中村邸


旧中村家住宅 [国指定重要文化財] 

旧中村家住宅は、江戸時代から日本海沿岸の漁家を相手に、海産物の仲買商を営んでいた近江商人の大橋宇兵衛が建てたものです。(左側の白い建物)大橋家から中村家に譲渡、昭和46年に重要文化財に指定され、さらに昭和49年に中村家より町に寄贈され、改修され一般公開された。

横山家 [北海道指定有形民俗文化財]

ニシンそば のルーツ

横山家は、現在まで200年以上続いている旧家で、歴史的記念物となってしまった民家が多い中で、横山家では現在も8代目が住んでおり、数多くの生活用品が残されています。(中略)横山家では明神丸(みょうじんまる)という船を持っていました。北前船は大きいので沖に停泊させ、小さな船に荷物を移して、はね出しまで荷物を運んでいました。明治のはじめの頃は、このような網元の家が軒を連ねて並んでいましたが、今ではここ1件だけになってしまいました。それだけに、往時の江差の姿を今に伝える貴重な建物です。

ニシンそばが食べられるお店

 

京都名物として知られる「ニシンそば」は、かつて江差から北前船によって日本海を経由して、周山街道、若狭街道のニシンロードで運ばれたニシンによって作られたもの。「それならもともとのルーツは江差ではないでしょうか」と言うのは、江差町で現在もニシンそばの味を守っている横山家ご主人のご意見です。

旧檜山爾志郡役所(ヒヤマニシグンヤクショ)

旧役所

「旧檜山爾志郡役所」は、北海道庁の出先機関である郡役所と警察署の業務を執り行なう建物として、明治20年(1887)に建てられました。現在は、明治時代の貴重な建物に、江差町郷土資料館としても活用されています。

今はひっそりしている江差のいにしえ街道



ニシンそば のルーツ今はひっそりしている江差のいにしえ街道


江差いにしえ街道に見られる奥に長い網元の邸宅


今はひっそりしている江差のいにしえ街道


今はひっそりしている江差のいにしえ街道


今はひっそりしている江差のいにしえ街道



なかうたうばがみどおり


中歌姥神通り(なかうたうばがみどおり)


酒蔵



NHK連ドラ「北の家族」1973年~舞台になった江差

ストーリー
逆境のなか、家族の意味を問いかけた作品。ヒロイン・志津(高橋洋子)の成長を軸に、親子の反目、恋愛トラブルなどさまざまな問題を取り上げ、家族の意味を問うた。
キャスト
高橋洋子
左 幸子
[出典:NHKのサイトから]

NHK連続ドラマの舞台1973~

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